楽しい海外旅行体験記

海外旅行大好き人間で、すでに約30ヵ国の国を訪れ、
同じ国を数回訪問したところもあります。現在も毎年
2回ぐらい出かけています。海外で出会った人、見聞
し楽しかったことを述べます。また、海外へ出るに
は語学も大切です。英語をある程度しゃべれれば、ま
ず、ほとんどの国へ出かけられます。その英語を学習
し外国人とコミュニケーションがとれるようになると
すばらしい出会いが待っています。その出会いなども
述べます。
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留学・ビジネス・旅行へ向けての英会話
 相変わらず今でも英会話を勉強している78歳の青年(自称)である。友人たちが他界していく今日この頃であるのに、いまさらなんで英会話をやっているのと友人たちからよく言われる。 その理由は海外旅行を楽しみたいからである。 若いときから英語に興味を持ち、アメリカへ行きたいという希望を抱きつづけていた。高校生のときアラバマ州の女の子とペンパルになったことがあった。しかし、それは長続きしなかった。 

 その後、大学に入り必修であった英語の単位は取れたが、英会話を学ぶ機会は皆無であった。28歳のとき、勤務していた国立航空宇宙技術研究所の先輩(アメリカの大学院修了)から、研究生活を続けるならアメリカへ留学してはどうかと薦められた。英会話力はないが、気持ちとしてはぜひ行ってみたいと思っていたので、その薦めを喜んで受け入れ、紹介状を書いていただいた。こうして、28歳から30歳までの2年間(1963年〜1965年)をアメリカのペンシルベニア州ベツレヘム市にあるリーハイ大学電気工学で大学院修士学生として学ぶことになった。この2年の間にケネディ大統領の暗殺事件、東京オリンピック開催と忘れがたい事件と催しがあった。 
 渡米直前までの約半年、急遽アメリカ人に個人教授で英会話を習った。1時間あたり千円と当時としては高額な授業料を払った記憶がある。当時の飛行機はプロペラ機からジェット機(DC-8)に変わったばかりのころで、一気にアメリカ本土へ飛べずハワイに一度立ち寄った。身体検査は厳しく、大きな胸のレントゲン写真を持って入国検査を受けた。英会話はできず、そのときの気持ちは心臓が口から飛び出しそうな精神的なプレッシャーを抱え、無我夢中であった。それでも何とかハワイで入国検査を済ませ、アメリカ、ペンシルベニア州のアバディーン空港に無事着いた。1963年6月のことである。

  こうしてアメリカ本土に到着し、英語づけの毎日が始まった。大学の指導教員のお世話で下宿先、キャンパスの様子など細かいことを教わり、大学院の講義を受ける学生生活が始まった。国の研究機関から派遣されたこともあって、修士号を取得して帰国しなければならないという重責があった。そのため、英語の講義を聞く(専門用語なのでわかる)、専門書を読む、レポートを書くなどは何とかできたが、英会話はまるっきりだめであった。2年もアメリカ生活をしてきたのだから、英語はしゃべれるでしょうとよく言われるが、ダメである。英会話をするには、相手が必要である。アメリカ滞在中、たしかに学友との接触はあり、おしゃべりはした。しかし、日本人と話すようなわけに行かないし、議論をしたという記憶もない。ネイティブとしゃべっていて、こちらは「ヒー、He」と言ったつもりだが、相手は「シー、She」と聞こえるという。その結果、“Mr. Hoop less”という有り難くないニックネームをつけられた。東京下町育ちで、“あさししんぶん(朝日新聞)” “しえる(冷える)” “おしさま(お日様)” “しよう(費用)”など全て「し」と発音しているようだ。そのため、つい英語の発音もその調子で言ってしまう。

  こうして、アメリカ生活が始まったが、当地では、当たり前だがテレビも通行人も店の店員も子供も全ての人が英語をしゃべっている。アメリカで生活を始めた当初、「今日は一日中日本語をしゃべらなかった」と不思議な気持ちであった。高い授業料を払わずに早くにアメリカに渡ればよかったとも思った。大学院では指定単位数の取得と修士論文を書く義務がある。不慣れなアメリカでしかも英語で全てをこなすという現実についていけるかどうか不安であった。

  単位の取得と修士論文(熱伝導のアナログシミュレーション)を完成させ、何とか1965年6月に修了式を迎え、M.S.(Master of Science)の称号を得た。ここに到るまで、単位取得試験にパスすることと、修士論文を書くことに重点をおき、友人やネイティブと会話する機会は多くはなかった。そのため、英会話の自信はないまま帰国した。帰国後、日本では英語をしゃべる機会を全く持たず現在に至っている。ただ、何度か学会発表や旅行で外国へ出かけそのときだけ話す機会は何とかあった。しかし、海外にでかける都度、英会話力の自信のなさに悩んだ。そのため、ラジオ英会話講座を聴き、英語のCDをいろいろ求め聴いた。しかし、その成果は思うように現れない。話す機会は英会話学校でも行けばよいのかもしれない。しかし、その時間がないことと高い授業料なので、参加することをしなかった。唯一しゃべるチャンスは外国に出たときぐらいであった。

  70歳の定年退職後は、海外ロングステイをしたいという希望を持っていた。それにしても上述したように英会話力は不足している。もう少し何とかしたいと思っていたところ、新幹線の中の背もたれに置かれた冊子の中に「スピードラーニング」の広告に出会った。“辞書いらずで、英会話が学べる”というような広告と記憶する。今では、第1巻から始めるようだが、8年ほど前(2005年)は初級、中級、上級にわかれていてどのコースからでも入れた。アメリカ生活があったので一応上級から始めることにした。しばらくたって、この講座は「聞き流しでよさそうだから」ということを家内が知り、彼女は初級コースを受講することになった。こうして、退職前1年は自動車通勤で往復80分ぐらいは毎日聴いた。退職後は、都心へ電車で出かけるときはほぼ必ず、自宅にいるときは聴きたいときに聴くようにして、現在に至っている。その甲斐あって、CDから聞こえるネイティブが話す日常英会話は、おおむねわかるようになった。“できないのは、やらないからだ”という信念を持ち続け、今日まで生きてきた。もう少し頑張り、まずは日常英会話が普通にできるように頑張り、その先は字幕なしで洋画が理解できるようになりたいと願っている。【2013.6.22】
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